そして青空は永遠に晴れたまま。

奇跡の2.5次元役者・浜尾京介の芸能活動復帰をのんびり待機中。

110407

映画タクミくんプチコラムその19。
〝誰もが焦がれたその永遠〟




今回はコラムと言うよりただの願望です(笑)。第五弾『あの、晴れた青空』製作決定を受けて、すこし落ち着いた今の心境をまとまりなく綴ってみました。いつにも増して駄文ですが、よろしければおつきあいください。




以下、注意事項。


※原作版「夕立」のネタバレがあります
※原作・映画版ともにギイタク至上の主観的な戯言です



以上のキーワードで駄目だと思ったら読まないでください。


嫌なものを敢えて読むのはマゾ行為だぞ☆






映画版タクミくんシリーズ第五弾にして浜尾託生と大ちゃんギイのコンビ最後となる作品『あの、晴れた青空』のテーマは、託生とギイの〝永遠の愛〟


永遠の、愛……永遠って、なんだか凄い言葉ですよね。




はてなキーワードによると、永遠とは、(以下引用)


 「果てしないもの。終らないもの。時間を超越するもの。ゆえに永遠とは時に縛られたこの現実世界の理を超越する存在・理を示す」


だそうです。


この最後のあたりなんかみてると、やはりフィクションのなかでしか〝永遠〟というものは見出すことが出来ないんじゃないかと思ったり。そしてより現実世界を離れた愛のなかにこそ〝永遠〟はあるのかも。




話は変わりますが、恥ずかしながら私、つい10日程前に『もしドラ』の正確な中身について知る機会がありまして、そこで耳にした「既存のものは陳腐化する」って言葉が妙に心に残ったんです。


 「古いもの、死につつあるもの、陳腐化したものを計画的かつ体系的に捨てること」


というイノベーションに関するドラッガーの言葉。先に挙げた〝永遠〟とは真逆をいくような意味合いのフレーズですが、奇しくもこれを聞いたとき、嗚呼、陳腐化する前に彼らのタクミくんシリーズを綺麗に終わらせてもらわなきゃな……と、ぼんやり思ったんですよね実は。


もしかしたらそれは、予感、だったんでしょうか。



ここで綺麗に終わらせることで、彼らの託生とギイの愛は〝永遠〟になれるかもしれない。


すくなくとも映画公式は今回本気でそれを目指しているのがわかります。前作のときとは公式の本気度合いが違う。例の温室写真一枚をみても明白です。第一報で公開されたのが、虹色・美貌のように加工した宣伝用ビジュアルでは無く劇中にて使用されているであろう一場面からのカットで、しかも超ド迫力なあの大きさ。提供する画ヅラに相当自信が無くては出来ませんよ。なんせたった一枚の写真で「嗚呼……これだ!!」と長らく待ち望んでいた彼らのファンを唸らせる抜群の説得力です。と言うことは、横井監督指揮の制作班も本気で彼らの〝永遠の愛〟を描き切ったとそう思って間違い無いんじゃないかな。信じて待っていていいんじゃないかな。



そして青空メイキングのギイタク版タイトルは、「タクミとギイ永遠の誓い」ですが原作「あの、晴れた青空」には、永遠を誓うような場面はありません。それがあるのは青空のエピローグ的な続編にあたる「夕立」のなかの一場面。



 「世界のどこにいても、オレは来るから」
 「来年も、再来年も、それから先も、ずっと、毎年オレはお前とここに来る」
                           ※「夕立」p.238より


この台詞をギイに言わせて、託生がそれに頷いてこそ、〝永遠の愛〟……その誓い、は完結するのではないでしょうか。「夕立」からのエピソード、ちゃんと加えてくれているって思ってもいい?



おそらく誰もが心の奥底では〝永遠〟を求めている。現実にはあり得ないとそう思っているけれど、本当はどこかで焦がれている。ずっと変わらない、果てしない、終わりのない、そんな愛の形。


きっとみせてくれるはずです。浜尾託生と大ちゃんギイで。




今回、青空メイキングの宣伝用に使用されている写真がありますよね。青空の下で寄り添いながらこちらを向く託生とギイの姿を眺めていると、二人がそのまま青空にすうっと融けて消えてしまうような気がするのです。誰にも届かない高みへと二人だけで昇っていってしまいそうな気がする。



それこそが、誰もが焦がれた〝永遠〟という名の高みなのかもしれません。