そして青空は永遠に晴れたまま。

奇跡の2.5次元役者・浜尾京介の芸能活動復帰をのんびり待機中。

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映画タクミくんプチコラムその12.5。

ボーイズラブと同性愛は別物なんです”




今回は言ってみれば序章。本題の前置き部分です。

映画版タクミくんシリーズには関係無い話ばかり続きますが

次回へ繋がる必要大前提として話しておきたいことなので

よろしければ時間のあるときにでもおつきあいください。



『美貌のディテイル』DVD特典であるオーディオコメンタリーで

中盤に差し掛かるあたりにおいてキャストの皆さんが至極真面目に

「同性愛」について語るのを、なんだか少しいたたまれないというか

申し訳ないような気分で聞かせてもらったのですが、それと同時に、

いやちょっとそれ違うだろう、と思うところもあったんですよね。


「コレは同性愛映画じゃなくてボーイズラブ映画なんだよ?」ってコト。


男と男が恋愛するということは共通していても、両者は根本的に別物。

決して相容れないものだと思うんですが、そこらへんの区別がキャストも

監督ですら若干わかっていないと言いますか…でも男性がそこを完璧に

区別出来て語られても嫌だったかもなあ…(;´ω`) ま、それはさておき、

演じる役者の立場としては、同性が同性を愛するということに対して

個々が真剣に考えてディスカッションして向き合ってもらった上でこその

前作、そして今作の出来映えだと思うのでそこは非常にありがたいです。



これまでにも同性愛映画、特にゲイを扱ったものには名作や佳作も

多く存在していて、私も一時期集中的に映画館やレンタルで観ました。

英国ゲイ映画を代表する『モーリス』『アナザーカントリー』は当然として、

今は亡きリヴァー・フェニックスの『マイ・プライベート・アイダホ』

同じく故レスリー・チャンの『さらば、我が愛 覇王別姫』(大好き!!!!)や

ブエノスアイレス』、レオナルド・ディカプリオの『太陽と月に背いて

最近では『ブロークバック・マウンテン』なんかが有名ですね。


これらゲイ映画に多く見られるのが、結末として破滅的な悲恋であること。

いざ現実社会のなかで物語を紡いだとき、愛し合う男同士にハッピーな

エンディングなどそうそう訪れないのが同性愛ものの宿命といいますか、

悲劇で終わらなかったのって私が観たなかでは『ウェディング・バンケット』

くらいじゃないかと思います(あれだって結末は投げっぱなしだしなあ…)



閑話休題


こうした青春の光と影そして破滅、みたいなゲイ映画作品の影響を

モロに受けて制作されたのが、初期の実写BL作品だろうと思います。

こう、見た目の組み合わせ的にも、いかにも、みたいな感じでは無く

わりとチャレンジャーだったじゃないですかキャスティングも。

(個人的には斎藤工氏が受け役だったことに驚愕しましたよ私はw)



その流れを打ち破ったのが、『愛の言霊』と『そして春風にささやいて

だと思うんですよね。…世間の評価的には真逆の2作品ですが(;´ω`)


共通点は


・どちらもさわやかなハッピーエンドであること。

・メインカップルの攻めと受けがパッと見で判別出来ること。

(『愛の言霊』が原作では受け攻めはっきりさせていないリバな関係なのは

知っていますが、実写ではおそらくフィジカル的には大谷×立花ですよね)


ここでようやく腐女子が求める “ボーイズラブ” の実写化に到達したのでは

ないかと思うんですよ。…まあ、春風は取り組み方を間違えてしまいましたが

最初のアプローチとしては悪くなかった、むしろ正しかった、のかも(;´∀`)



ボーイズラブはファンタジーなんです!!!!


痛みのある社会派な作品が観たければちゃんとしたゲイ映画観るわい!!!!

…というのが私の個人的信条。


ボーイズラブと同性愛のなにが違うかって、男同士の恋愛でありながら、

主にフィジカル面での役割が “攻め” と “受け” にきっぱり分かれている

ことじゃないかと思います。勿論、漫画や小説のようなBL業界最先端を

行く2次元媒体では、見た目で受け攻めはっきりしないような男の子同士

だったり、ガタイの良い受けだったりショタ攻めだったりオッサン受けだったり

挿しつ挿されつのリバだったり…そういったBLが雑多に闊歩していますが、

実写BLは最先端から20年程遅れている後進業界です。ここにきてようやく

BL…いや、BLという言葉も腐女子というカテゴリーも存在していなかった頃、

やおいやJuneなどと呼ばれどこか後ろ暗い秘かな嗜みであった時代に、

実写BLがやっと追いついた(むしろ逆行?)のではないかとも思っていたり。



話がどんどん別方向へ迷い込んでいる気がしますが続けますw


ボーイズラブにおいて、“攻め” と “受け” が存在していること。

つまり男女の恋愛では女性が担う役割、フィジカル面の恋愛が進んでいく

段階で必ず通るであろう肉体関係を持つに至った場合の女性の立場を、

男性に “受け” という役割で負わせ、“攻め” る男性は “受け” る男性を、

女性にするのと同じように愛することで生み出されるどこか倒錯的な快感が

ぶっちゃけるとボーイズラブの醍醐味なんじゃないかと私は思うんです。


だから、上で挙げたディカプリオの『太陽と月に背いて』という映画において

(※以下ネタバレにつき文字反転)ベッドシーンでディカプリオの役が攻めで

ヴェルレーヌ役のおっさんが受けだと判明したときの衝撃と言ったら!!!!(絶句)

いやー…あれは腐女子にとってはかなりのトラウマものでした(;´Д`)

正直、今となってはストーリーよりもそれしか覚えていないもんなあ…。



見た目で “攻め” と “受け” がわかる恋愛の役割上の安心感は

ボーイズラブものにおいて欠かせない要素だと私は考えます。

そして先に触れたボーイズラブの醍醐味を満たすように徹頭徹尾意識して

作られたのが、『美貌のディテイル』の、特に最後の5分であったと。




ここからやっとこさ本題に入れそうです(;´ω`)

相変わらず前置きが長い…。というコトでこの続きは次記事にて。