そして青空は永遠に晴れたまま。

奇跡の2.5次元役者・浜尾京介の芸能活動復帰をのんびり待機中。

101209

いろいろいろいろ……悩んでいました。
映画版『Pure』の感想を、どう書いたらよいものか、と。



先日ですが、妹に『Pure』試写会の感想を聞かれ、ここではとても書けないようなこと(笑)を言いまくったら「アンタそれもう全然冷静に観れてないで」と、ざっくり突っ込まれました。う、うん、そうだよね(汗)。で、今回ギイタクなんにも無かったのよ!! と言うとまた冷静に「アンタは期待してるみたいやったけど、絶対無いと思ってた」そんなふうに言われまして。思わずなんでよ?! と訊いたら、



「だってそんなんしたら全部そっちにもってかれるやん」



……フォオオオオオオオオオ?!!!



私、思わず目からウロコ。うわあー客観的な意見って凄い。




そういうワケで、実に冷静な妹の意見に物凄く納得してしまったのでした。


彼女は三洲が左なのか右なのか(基本三洲左支持のひと)見極めようと今回の映画に対して純粋に興味津々のようです。率直な感想が聞きたいので敢えて内容は教えませんでした。なんの思い入れも無い客観的な立場からの感想を聞くのが私も素直に楽しみだったり。




さて、以上のちょっとアレな姉妹会話からもおわかりのように、今回の『Pure』、ワタクシ客観的に観ることが出来ておりません。作品として観たときに良かったのか悪かったのかもう正直わからない。出演している役者さんに半端無く想い入れている以上、結局は客観的に、なんてのは無理で、バリバリ主観的にしか観られない。


なので、「良かったか悪かったか」では無く、自分が「好きか嫌いか」この一番わかりやすい人間の感情に基づいて、もう主観丸出しで自分が感じたままの『Pure』の感想を書こうと思います。





で、『Pure』が好きか嫌いか。


私は、「あまり好きじゃない」です。


以下、ギイタク至上な人間が己の主観だけで書く感想ですので、
嫌だな合わないなと思ったらここで即スルーしてくださいね!!!!




とりあえず言いたいことは、今回のあらゆる不満点が帰結する要因であろう役者の事情を含めた製作側の裏事情を考慮して「仕方無い」「出てくれただけで満足」と言って不満ごと誤魔化したり納得したくない。


……勿論ありがたいとは思います。託生とギイが続投してくれたことは〝奇蹟〟だとも思っています。製作時にどうしようもなかった仕方無い部分は私も重々わかっているつもりですが、そもそも製作や出演者の諸事情を慮って気を遣ったり言葉選んだりするのって本末転倒じゃないか? とも思うワケです。だってお金払ってるお客なんですよ私。TV映像と違って映画なんてお金払って劇場で観て、DVD買って観てくれるお客さんがいないと商業的に成り立たないんですよ。虹色と美貌を支えてきたのはそういうお金を払ってでもこの作品を観たい!! というお客さんたちでしょ?


だったらお客の立場で観たいものを観たいと言わないでどうするの。足りないものを足りないと言ってなにが悪い。 ええいっギイタクが足りない!!!!


『Pure』だって、ちゃんと託生が三洲と真行寺のあいだに存在していてキーパーソンになる展開で観たかったし、高林&吉沢の話を観るならきちんと独立した『彼と月との距離』の話として、ギイに原作の台詞「気安く連呼するなよ」って「会いたくなるだろ」って言ってほしかった。


原作の二作品を力業でツギハギしたせいで、やっぱりどのカップルも中途半端……というかどこも少しずつ描写が物足りなかったと思います。いや、ギイタクに関していえば全っ然足りないんだけどさ。特に高林&吉沢のエピソードは無理矢理感とやっつけ感があった。原作知らずに観たひとにはこの二人は何者? だったのではないかと。今作を七夕にまつわる〝3組のカップルの恋模様〟と謳うのであれば、最後のエピローグで高林&吉沢の七夕をワンカットは入れるべきです。


託生とギイの数少ないシーンについても、ラストの場面では彼らが原作に無い台詞を言うと違和感がありました。これはギイタクに限らず、三洲と真行寺のラストシーンでも感じたなあ。なんか途端に台詞が説明文っぽくなってる気がしました。


あと、ギイの行動が紳士過ぎる。いろんな方が言われてると思いますが、正面ハグハグのシーンで、あの託生の方から抱きついてきたというのにギイが抱き締め返して頭ポンポン……それだけで済ませるワケがない(断言)!!!! その場でキスして即ゼロ番お持ち帰りするでしょ? するよねギイだもの。最後も託生から肩に頬寄せて甘えてきてるんですよ?あの託生から?! なのに微動だにしないギイ……そこでキスしろよと言いたいけど我慢して、せめて託生の身体に手を回して引き寄せるとか肩を抱いて頭こっつんとかするでしょ? するよねギイだもの。だってギイだよ?!!!(意味不明)ギイもしかしてもう性欲枯れちゃったの? って突っ込みたくなるよ(コラ


そのへんを裏事情勘繰って「仕方無い」で済ませたくないんですよね。ここははっきりと不満です。託生を前にしたときのギイでは無いと思う。



三洲と真行寺については……もう原作とは完全に別物だと思います。映画版のこの三洲だからこの真行寺なのか、そういうことなのかと。でも、それは変えちゃいけない原作要素なんじゃないのかとも思ったり。


彼らに関しては私、客観性のカケラも無いのであまり偉そうに語ってはいけないとも思うんですが、互いを想いつつもすれ違ってしまう、という点については虹色からの映画版タクミくんシリーズの魅力と醍醐味を引き継いでいるんだろうな……と。た、多分。よくわかんないけど。


でもあのラブシーンだけはちょっとね。私にはすごく異物感があった。なんていうのかなあ……たとえば前作美貌の最後5分ですよ。あのギイタクの濃厚ラブシーンは、時間も長いしエロティックだけどいやらしさは無くてとにかく綺麗。それだけに現実味が無いんです。


三洲と真行寺の今作のラブシーン、特に更衣室の方の濃厚さは、短いのに妙に生々しくて、どちらかというと猥雑な感じが漂っていた。なんかあそこの絡みだけアジアンゲイムービーみたいだった……


だから〝タクミくんシリーズ〟としてみると異物感があったのかなと。他の実写BL作品ならば評価される場面なのかもしれないですけども、タクミくんシリーズはBLのなかでもすでにある意味次元を越えているBLファンタジーというか、最早現代腐女子のおとぎ話だと思っています。だから生々しいのはともかく「猥雑」ってのは方向性が違う気がする。ラブシーンだけがものすごく浮いてるように感じました。


この「猥雑」さは制作サイドが狙って撮ったものなのか、役者ががんばりすぎたのか(笑)、その合わせ技なのか、それともまったく違う要因によるものなのか……視聴者側にいる私にはどう足掻いてもそれを知る術は無いワケですがなんとなくみえている部分はあるので後日プチコラムで書きたいです。



ま、あくまでギイタク好きの個人的主観ですのでそのへんご容赦を。次記事では「何故『Pure』があまり好きじゃないのか」、を書く予定です。